被相続人(亡くなった方)に借金がある場合、相続人はその借金も引き継ぐことになります。「相続放棄」または「限定承認」を適切なタイミングで行うことで、借金の負担を回避または限定できます。令和3年(2021年)民法等の一部改正(2023年4月1日施行)により、相続放棄者の財産管理義務は「保存義務」に変更され、現に占有している場合のみに限定されました。平成30年(2018年)相続法改正(2019年7月1日施行)により、相続分の指定があっても債権者は法定相続分により権利行使できることが明文化されました(民法第902条の2)。この記事では、借金がある場合の相続対応の選択肢・要件・手続きを解説します。
カテゴリ:相続・遺言 / 種別:トラブル系
関連条文:(本法)民法第896条・第897条の2・第902条の2・第915条第1項・第919条・第920条・第921条・第922条・第923条・第924条・第927条第1項・第932条・第938条・第939条・第940条第1項
こんな方へ
- 被相続人(亡くなった方)に借金があり、相続するか迷っている
- 相続放棄と限定承認の違いを整理したい
- 3か月の熟慮期間内に判断できない場合の対処を知りたい
- 住宅ローンや連帯保証人の地位がどう扱われるか確認したい
- 相続放棄後の不動産管理義務(令和3年(2021年)民法等の一部改正後)を確認したい
この記事でわかること
- 単純承認・相続放棄・限定承認の3つの選択肢の違い
- 民法第915条第1項の熟慮期間(3か月)と起算点
- 民法第921条(法定単純承認)の3つの事由
- 令和3年(2021年)民法等の一部改正(2023年4月1日施行)による相続放棄後の保存義務(民法第940条第1項)
- 平成30年(2018年)相続法改正(2019年7月1日施行)による債権者の権利行使(民法第902条の2)
- 相続放棄者の保存義務と保存目的の相続財産管理人(民法第897条の2)の関係
- 借金の種類別の論点(住宅ローン・保証債務・税金)
結論:借金がある場合は「相続放棄」または「限定承認」が選択肢。どちらも自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内が原則
根拠条文:(本法)民法第915条第1項(熟慮期間) 根拠条文:(本法)民法第938条(相続放棄の方式) 根拠条文:(本法)民法第922条(限定承認)
| 選択肢 | 内容 | 期限 | 手続き |
|---|---|---|---|
| 単純承認 | プラス財産もマイナス財産(借金)も全て相続(民法第920条) | 期限なし(3か月以内に何もしないと法定単純承認:民法第921条第2号) | 手続不要 |
| 相続放棄 | 一切の財産・借金を相続しない(民法第939条で「初めから相続人とならなかったものとみなす」) | 自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内 | 家庭裁判所への申述(民法第938条) |
| 限定承認 | プラス財産の範囲内でのみ借金を返済(民法第922条) | 同上 | 相続人全員で家庭裁判所に申述(民法第923条) |
重要: 3か月の熟慮期間内に相続放棄・限定承認をしなかった場合、法定単純承認(民法第921条第2号)により借金も全額引き継ぐことになります。期間内に判断が難しい場合は、家庭裁判所に期間の伸長を申立てることができます(民法第915条第1項ただし書、利害関係人又は検察官の請求)。
判断フロー:どの対応を選ぶか
借金がある場合、どの対応を選ぶか?
財産状況の把握
- プラス財産 > マイナス財産
- プラス財産 < マイナス財産
- プラス・マイナスが不明
相続放棄を検討する場面
- 借金が明らかに財産を上回る
- 一切の財産を引き継ぎたくない
- 次順位相続人への影響を確認
① 相続の3つの選択肢
→ 相続人は、相続の効果について3つの選択肢を持っています。
根拠条文:(本法)民法第915条第1項
相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。ただし、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができる。
単純承認(民法第920条)
根拠条文:(本法)民法第920条
相続人は、単純承認をしたときは、無限に被相続人の権利義務を承継する。
→ プラス財産もマイナス財産(借金)も全て承継します。
相続放棄(民法第938条・第939条)
→ 家庭裁判所への申述により、初めから相続人とならなかったものとみなす(第939条)。
限定承認(民法第922条以下)
根拠条文:(本法)民法第922条
相続人は、相続によって得た財産の限度においてのみ被相続人の債務及び遺贈を弁済すべきことを留保して、相続の承認をすることができる。
→ プラス財産の範囲内でのみ借金を弁済する制度。相続人全員での申述が必要(第923条)。詳細は 限定承認の期限 を参照。
② 法定単純承認(民法第921条)
→ 一定の事由がある場合、相続放棄・限定承認をしていなくても法律上当然に単純承認をしたものとみなされます。
根拠条文:(本法)民法第921条(法定単純承認)
| 号 | 事由 |
|---|---|
| 第1号 | 相続人が相続財産の全部又は一部を処分したとき(保存行為および第602条に定める期間を超えない賃貸をすることを除く) |
| 第2号 | 相続人が第915条第1項の期間(3か月)内に限定承認又は相続の放棄をしなかったとき |
| 第3号 | 相続人が、限定承認又は相続の放棄をした後でも、相続財産の全部若しくは一部を隠匿し、私にこれを消費し、又は悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき(その相続人が相続放棄をしたことによって相続人となった者が相続承認をした後はこの限りでない) |
実務的な留意点:
- 相続財産の処分(売却・贈与等):単純承認とみなされる
- 使用・消費(被相続人の預金引き出し等):単純承認とみなされる場合がある
- 保存行為(葬儀費用の支払い等):単純承認には該当しないと整理される(争いあり)
- 債権者からの請求への安易な支払い:単純承認と評価される可能性あり
→ 相続放棄を検討している場合は、相続財産には触れないことが原則です。
③ 相続放棄(民法第938条・第939条・第940条)
→ 相続放棄をした者は、初めから相続人とならなかったものとみなされます(民法第939条)。借金も含め一切の財産を引き継ぎません。
根拠条文:(本法)民法第938条(相続放棄の方式) 根拠条文:(本法)民法第939条(相続放棄の効力)
申述方法
家庭裁判所(被相続人の最後の住所地管轄)に相続放棄申述書を提出します。管轄は家事事件手続法第201条により、被相続人の住所地等を管轄する家庭裁判所。
詳細は 相続放棄の期限は3ヶ月 を参照。
主な留意点
- 期限: 自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内
- 撤回不可: 相続放棄は熟慮期間内であっても撤回できません(民法第919条第1項)。詐欺・強迫・錯誤等による取消しは家庭裁判所への申述により可能(第919条第2項〜第4項)。詳細は 民法第915条とは を参照
- 次順位相続人への影響: 放棄した者の次順位の相続人(被相続人の親・兄弟姉妹等)が相続人となる
- 相続財産の処分の効果: 第921条第1号により、相続財産を処分すると単純承認とみなされる場合がある
令和3年(2021年)民法等の一部改正(2023年4月1日施行)による保存義務(民法第940条第1項)
根拠条文:(本法)民法第940条第1項
相続の放棄をした者は、その放棄の時に相続財産に属する財産を現に占有しているときは、相続人又は第952条第1項の相続財産の清算人に対して当該財産を引き渡すまでの間、自己の財産におけるのと同一の注意をもって、その財産を保存しなければならない。
#### 改正前後の比較
| 項目 | 改正前(〜2023年3月31日) | 改正後(2023年4月1日〜) |
|---|---|---|
| 義務の名称 | 管理義務 | 保存義務 |
| 義務発生の要件 | 一律(放棄により相続人となった者が管理を始めることができるまで) | 「現に占有している」場合に限定 |
| 引渡し先 | 次順位の相続人 | 相続人または第952条第1項の相続財産の清算人 |
| 内容 | 自己の財産におけるのと同一の注意で管理を継続 | 自己の財産におけるのと同一の注意で保存 |
→ 改正により、遠方居住者など被相続人の財産を実際に占有していなかった相続放棄者は、保存義務を負わないことが明確化されました。
→ 「現に占有」とは、事実上支配・管理している状態をいい、被相続人と同居していた・空き家の鍵を管理していた等の場合が該当する整理がなされています。
④ 限定承認(民法第922条〜第937条)
→ 限定承認は、相続によって得たプラス財産の限度でのみマイナス財産(借金)を弁済する制度です。
根拠条文:(本法)民法第922条・民法第923条・民法第924条・民法第927条第1項・民法第932条
限定承認の特徴
- 相続人全員の合意が必要(民法第923条):相続人のうち一人でも同意しない場合は利用できない(相続放棄者は除外)
- 3か月以内に財産目録を作成して家庭裁判所に申述(民法第924条)
- 5日以内に2か月以上の請求申出公告(民法第927条第1項)
- 競売換価が原則(民法第932条本文):競売による換価が原則。相続人は鑑定人の評価による先買権を行使可能(同条ただし書)
- 手続きが複雑:相続人全員の協力・財産目録の作成・公告・換価弁済等の手続的負担が大きい
限定承認が利用される場面
- 特定の不動産・事業等を引き継ぎたいが、借金の全額引き継ぎは避けたい場合
- プラス財産がある程度あるが、隠れた借金がある場合
留意点: 制度上は有効ですが、手続負担やみなし譲渡所得課税(所得税法第59条第1項:被相続人から相続人への財産移転を時価により譲渡したとみなす)等の税務上の論点があります。
詳細は 限定承認の期限 を参照。
⑤ 熟慮期間の伸長(民法第915条第1項ただし書)
→ 財産の全容を3か月以内に把握できない場合、家庭裁判所に熟慮期間の伸長を申立てることができます。
根拠条文:(本法)民法第915条第1項ただし書
ただし、この期間は、利害関係人又は検察官の請求によって、家庭裁判所において伸長することができる。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 申立権者 | 利害関係人または検察官 |
| 申立先 | 被相続人の住所地を管轄する家庭裁判所 |
| 申立て時期 | 3か月の期間が経過する前 |
| 伸長期間 | 通常3か月程度(事案により1〜6か月) |
→ 相続財産が複雑・広範囲にわたる、被相続人と疎遠で財産状況がわからない等の事情がある場合に活用されます。
⑥ 借金の種類と注意点
| 借金の種類 | 整理 | 法的整理 |
|---|---|---|
| 住宅ローン | 団体信用生命保険(団信)に加入している場合、被相続人の死亡により保険金が金融機関に支払われ、住宅ローンが完済される(法律上の「相殺」ではなく、保険による完済)。団信の適用条件・契約内容で個別判断 | 保険による弁済 |
| 連帯保証債務 | 通常の連帯保証は相続される(相続人間で法定相続分により分割債務として承継) | 相続される |
| 身元保証 | 原則として相続されない(大判昭和18年(1943年)4月13日:身元保証契約は当事者の信頼関係に基づくため、保証人の死亡により消滅) | 相続されない |
| 根保証(継続的保証) | 相続開始時点までに発生した債務に限り相続される(極度額が定められた根保証について:民法第465条の4等) | 相続時点までの債務 |
| 税金(所得税・住民税等) | 公租公課も相続の対象(国税通則法第5条・地方税法第9条) | 相続される |
| 養育費 | 被相続人の元配偶者・子に対する養育費債務は、原則として一身専属的であり相続人は承継しないと整理される(争いあり) | 一身専属性の論点 |
第902条の2(債務の承継・平成30年(2018年)相続法改正で新設)
根拠条文:(本法)民法第902条の2(相続分の指定がある場合の債権者の権利の行使)
被相続人が相続開始の時において有した債務の債権者は、前条の規定による相続分の指定がされた場合であっても、各共同相続人に対し、第九百条及び第九百一条の規定により算定した相続分に応じてその権利を行使することができる。ただし、その債権者が共同相続人の一人に対してその指定された相続分に応じた債務の承継を承認したときは、この限りでない。
→ 被相続人が遺言で相続分を指定していても、債権者は法定相続分により権利行使が可能。
→ 平成30年(2018年)相続法改正(2019年7月1日施行)で新設された規定。
→ 関連判例:最判平成21年(2009年)3月24日(同旨の判例)。
⑦ 相続放棄後の「保存義務」と「保存目的の相続財産管理人」(民法第897条の2)の違い
→ 令和3年(2021年)民法等の一部改正(2023年4月1日施行)により、相続財産を保存・管理する制度として、(1) 相続放棄者個人が現に占有している財産について負う「保存義務」(第940条第1項)と、(2) 家庭裁判所が選任する「保存目的の相続財産管理人」(第897条の2)の2つが整備されました。両者は別の制度です。
根拠条文:(本法)民法第897条の2(相続財産の保存)
両者の比較
| 項目 | 相続放棄者の保存義務(第940条第1項) | 保存目的の相続財産管理人(第897条の2) |
|---|---|---|
| 主体 | 相続放棄をした者個人 | 家庭裁判所が選任する第三者(管理人) |
| 発生・選任の要件 | 放棄の時に相続財産を現に占有していること | 利害関係人または検察官の請求により家庭裁判所が選任 |
| 権限の範囲 | 保存(自己の財産におけるのと同一の注意義務) | 保存行為(処分は原則不可) |
| 引渡し先 | 相続人または第952条第1項の相続財産の清算人 | (管理人が選任されると相続放棄者は管理人に引き渡す) |
| 終了時点 | 相続人または相続財産の清算人への引渡し時 | 家庭裁判所による解任・任務終了 |
実務上の関係
- 相続放棄者が現に占有する財産があり、引渡し先(次順位相続人や相続財産清算人)がいない場合、相続放棄者は第940条第1項の保存義務を継続して負う
- このとき、利害関係人または検察官の請求により家庭裁判所が第897条の2に基づく保存目的の相続財産管理人を選任すれば、相続放棄者は管理人に財産を引き渡して保存義務から解放される
- 保存目的の相続財産管理人と、清算目的の相続財産清算人(第952条第1項)は別の制度。詳細は 相続財産清算人とは を参照
→ 改正前は管理義務の終了が不明確で相続放棄者の負担が長期化する事案があったため、令和3年(2021年)民法等の一部改正(2023年4月1日施行)により制度的解決手段(第897条の2の管理人選任)が整理されました。
このテーマで使う条文一覧
| 条文 | 法令 | 区分 | 内容 |
|---|---|---|---|
| (本法)第896条 | 民法 | 周辺 | 相続の一般的効力(権利義務の承継) |
| (本法)第897条の2 | 民法 | 周辺 | 保存目的の相続財産管理人(令和3年(2021年)民法等の一部改正で新設・2023年4月1日施行) |
| (本法)第902条の2 | 民法 | 中核 | 相続分の指定がある場合の債権者の権利行使(平成30年(2018年)相続法改正で新設・2019年7月1日施行) |
| (本法)第915条第1項 | 民法 | 中核 | 熟慮期間(3か月・伸長は利害関係人または検察官の請求) |
| (本法)第919条 | 民法 | 周辺 | 撤回禁止(第1項)・取消しの可否(第2項〜第4項) |
| (本法)第920条 | 民法 | 中核 | 単純承認の効力(無限承継) |
| (本法)第921条 | 民法 | 中核 | 法定単純承認(3号構成:処分・期間徒過・隠匿等) |
| (本法)第922条 | 民法 | 中核 | 限定承認 |
| (本法)第923条 | 民法 | 中核 | 共同相続人の限定承認(全員での申述) |
| (本法)第924条 | 民法 | 周辺 | 限定承認の方式(3か月以内・財産目録) |
| (本法)第927条第1項 | 民法 | 周辺 | 限定承認後の請求申出の公告(5日以内・2か月以上) |
| (本法)第932条 | 民法 | 周辺 | 競売換価・先買権(ただし書) |
| (本法)第938条 | 民法 | 中核 | 相続放棄の方式(家庭裁判所への申述) |
| (本法)第939条 | 民法 | 中核 | 相続放棄の効力(初めから相続人とならなかったとみなす) |
| (本法)第940条第1項 | 民法 | 中核 | 相続放棄後の保存義務(令和3年(2021年)民法等の一部改正で「現に占有している」場合に限定・2023年4月1日施行) |
まとめ
- 借金がある場合の選択肢は単純承認・相続放棄・限定承認の3つ
- 3か月の熟慮期間内に判断する必要がある(民法第915条第1項)。徒過すると法定単純承認(第921条第2号)
- 熟慮期間の伸長は利害関係人または検察官の請求により家庭裁判所が決定(第915条第1項ただし書)
- 第921条の法定単純承認は3号構成(処分・期間徒過・隠匿等)。相続放棄を検討中は財産に触れないことが原則
- 相続放棄(民法第938条・第939条):家庭裁判所への申述により、初めから相続人とならなかったものとみなされる
- 相続放棄は撤回できない(第919条第1項)。詐欺・強迫等による取消しは家庭裁判所への申述により可能(第919条第2項〜第4項)
- 令和3年(2021年)民法等の一部改正(2023年4月1日施行)により、相続放棄者の財産管理義務は「保存義務」に変更され、現に占有している場合のみに限定(民法第940条第1項)
- 限定承認(民法第922条以下):相続人全員での申述(第923条)、3か月以内(第924条)、5日以内に2か月以上の請求申出公告(第927条第1項)、競売換価+先買権(第932条)
- 平成30年(2018年)相続法改正(2019年7月1日施行)で新設された民法第902条の2:相続分の指定があっても債権者は法定相続分により権利行使可能
- 住宅ローンの団信は法律上の相殺ではなく、保険金による完済
- 身元保証は原則として相続されない(大判昭和18年(1943年)4月13日)
- 令和3年(2021年)民法等の一部改正(2023年4月1日施行)で保存目的の「相続財産管理人」(民法第897条の2)も別途新設。相続放棄者個人の保存義務(第940条第1項)と、家裁選任の保存目的の管理人(第897条の2)は別の制度